解き放たれしソフトウェア

GNU/LinuxなどFLOSSについて書いてみるつもり

理想と現実とそのあいだ

またこの件ですが

mag.osdn.jp


FSFは、トランスジェンダーを雇うには拙速だったのだと思います。

さまざまな人種、民族、信仰、ジェンダー等々を雇うには、職場や経営者や従業員が固定観念を払拭して、態勢を調えねばなりません。

2016年には outreach をキーに据えた FSF でした。 しかし、公益財団としての限られた予算のなかでは、研修など態勢を調えて、組織効率の面では不利である異質な人とやっていくには、コストが過大であり、直ぐには成し得なかったのでしょう。 直ぐには成し得ないことだったのに、安易に「成し得る」と判断して雇い始めたのだとすれば、自己洞察の足りない思い上がりがあったのだと言わざるをえません。 彼らは理想を見るのは得意ですが、自分を実際よりもより理想的な者だと思いこんでいる(現実認識や自己洞察が足りていない)フシは、FSFにせよRMSにせよ、あるのではないでしょうか。

職場の態勢が醸成されていなかったから、辞めてもらうしかなかったのでしょう。 拙速で、迷惑をかけています。

外部のプロジェクトへの支援を増やすとか、インターンを受け入れるとか、なんらかのイベントを開催するとか、やりかたはあったはずなんですよね。 また、RMS含め職員達自身が研修を受けるとか。 例えばトランスジェンダーにしてもその当事者団体ってありますから、そういうところに教えを仰げるはずなんですよね。


しかし、Libreboot の Rowe 氏の方は、感情的で、戦略性も足りず、事態をわざわざ荒らしているというほかありません。

Rowe 氏自身がトランスジェンダー女性で、この事態がトラウマに触れるものだったのでしょうし、トランスジェンダーの味方にならねばならず、社会正義に燃えるところもあるのでしょう。

しかし、拙いです。拙くなる最大の原因は、トラウマに触れたからでしょう。

世の中には、共感能力や想像力のない人々の方がむしろ多いですから、今回の Rowe 氏のような行動は、かえって誹謗中傷にすら拡大します。 最近の流行語でいえば「ノイジーマイノリティ」とか言われてしまうわけです。

例えば

cpplover.blogspot.jp

のような反応があるわけですが、今回の件は「些細な言動の揚げ足取り行動」では済まないものだと私は思います。

そもそも、特定の団体に属する一部の人間が差別主義者であったとして、その団体全体が差別主義であると主張するのは、LGBTの一部の人間の問題を取り上げてLGBT全体が問題であるとするLGBTフォビアと何ら変わりない行動である。

というのは今回の件には当たらない批判でしょう。(また、トランスジェンダーの話をしているのに十把一絡げに"LGBT"という語彙で済ますのも不適切です。)

なぜならば、FSFには雇った以上は職員に対して責務があるからで、当該職員に対して合わせていかないといけないからです。 社会的に不利な立場の人(いわゆるマイノリティ)を優遇して公平にしようとするならば、不利な立場の人に対して有利になるように合わせないと釣り合わないからです(アファーマティヴ・アクション)。

あえてダイヴァーシティを実現するには、例えば女性エンジニアを雇うには母数が少ないので能力的に不利だったり、例えば障がいをもつ人を雇うと業務効率が低下したり、ムスリムを雇うと礼拝の時間と場を用意しないといけなくなったり、母語の異なる人を雇うとコミュニケーションに苦労したり、しますそうしたコストをあえて甘受せねばなりません周囲の上司や同僚の方が、合わせる努力をしていかねばなりません。 結果第一主義や、効率優先主義では、不可能です。

さらに言えば、ほとんどの企業では、アルコール禁止の人は職場のパーティに出るのは困難になり(たとえ出られたとしても苦痛と苦労が多いし)、ムスリムは豚肉食べられないので同様で、ユダヤは肉は血抜きし祈祷していないとダメだし。外食も、コンビニのパンや弁当や惣菜すらも、障壁が設けられています。実にそういう基礎的な部分からもう、社会には欠けているんです。

ちなみに、「全ての人のため」「みんなの」という言説は往々にして、社会的に有利な立場を既に得ていて、しかも恵まれていることに自覚のない、いわゆるマジョリティの、自己正当化の論理として振りかざされます。 それでは差別なんて無くなりません。

例えば、「みんなのためにトランスジェンダーは辛抱しろ」という主張が平然と出てくるでしょう。それはトランスジェンダーに限らず、例えば女性に対してであれ、ムスリムに対してであれ、母語の異なる人に対してであれ、出てきます。 そうして、女性プログラマの育たない社会が維持されますし、ムスリムが事実上就職困難な社会が日本では維持されますし、英語が流暢でない人は欧米では就職難になるでしょう。 アメリカでさえ、黒人と白人の混血の人がようやく大統領になれたくらいでしかなく、女性大統領がいません。 日本の政治家に女性が少ないのも、能力がどうたらとかなんだかんだと理屈をつけて正当化されるのでしょう。


さてしかし、他方の Rowe 氏の言動が、戦略的な冷静さが無く、過激で、公私混同が酷いのもたしかです。

雇用主である FSF と、その代表者に対して、批判を向けるべきなのに、加害者とされる上司の実名を出したのも不適当でしょう。

また、公開の場で告発をしたのも拙速です。 早すぎるし、証拠を調えるよりさきに公表してしまい、証拠は後づけみたいになっています。

そして、 Libreboot のプロジェクトを盾にして抗議したのも不適切です。 Rowe 氏は、 Libreboot のデヴェロッパから降りて、Libreboot からフォークして別のプロジェクトを始めればよかったのです。 自分一人しか居ないプロジェクトならば、そのウェブサイトででもなんででも、プロジェクトの総意としてなんとでも主張可能でしょう。 それに言うまでもなく、 GNUFSF からは外れられます。

Rowe 氏は、トラウマに触れられたからでしょうが、やっていることも言っていることも、とっちらかっています。 FSFにしてきた寄附の金額がどうとか(さらにはカネ返せとか)にしてもそうでしょう。

ダイヴァーシティを未だ確立し得ない FSF にも難はあります。しかし、 FSF の事業はフリーソフトウェア運動であって、ダイヴァーシティもその一環のひとつに過ぎません。

Rowe 氏がやっている言動それ自体は、実に、ダメダメだと思います。 ただ、Rowe 氏が暴走してしまうのは、それだけのトラウマに触れられたのでしょうし、それだけ、怖いからなんでしょう。

世の中を直すには、理想(目標)の設定だけでは足りません。的確な現状認識をしたうえで、現状から理想へどのようにアプローチするか(経路設定)ということが必要です。 その点では、RMSFSFも、Rowe 氏も、正しい理想をぶち上げてはいるのでしょうけれど、現状認識や経路設定で、どこか抜けていると思うんですよね。

Libreboot 対 FSF 騒動(FSFのトランスフォビア事件)

mag.osdn.jp

なお、Libreboot側の主張については、特定の開発者の個人的な意見をプロジェクト全体の総意のように発表しているとの批判も開発者から出ている。(前掲・OSDN)

この「批判」は、"Libreboot screwup"(Damien Zammit)。Zammit氏は Libreboot のコントリビュータの一人です( https://libreboot.org/contrib/ )。


結論としては、どちらの言い分も信用してはいけないと考えます。 そもそも、 RMS にせよ、Leah Rowe 氏にせよ、完璧な人ではありえません。 いずれもかなり賢い人だとはいえますが、完璧にはどこか抜けています。

事件の概要

さて、事件としては、FSFの職場で、トランスジェンダー当事者*1の職員が上司からハラスメントを受けていました。 そしてそれに抗議したら、「和を乱した」ということで退職させられました。 そういう話です。

Rowe@Libreboot の主張

Rowe 氏は libreboot.org で、

  • FSF にしかるべき人事部門や内部告発制度が欠けている
  • 過去にもトランスジェンダーの応募者を「外見が変だ」という理由で不採用にしていたことがある という点をさらに指摘しています。

同時に、辞めさせられたトランスジェンダー職員のことを「アウティング*2してしまって迷惑かけた云々とかわざわざ書いています。冗長でなにがなんだかわからなくなっています。

Rowe 氏はそれに加えてさらに、「なぜ GNU に参加してはいけないか」という論説まで述べています( "Why your project should never join GNU" )(ただ、こうまでなるともはや、論点が散逸してわけがわからなくなってしまっていますね)。

余談ですが、Rowe 氏もトランスジェンダー女性(MtF)当事者なのもあり、息を呑むような論説が出てきます。 例えば、ジェンダーセクシュアリティは必ずしも一致しないという話(Rowe 氏はトランスジェンダー女性だがバイセクシュアルで、女相手にしか性交渉をしたことがない、とか)。一言でいえば「シスヘテロ神話」批判ですよね。 けれども、論点から逸脱している点ではもうグダグダになってきています。

Zammit@Libreboot の話

  • Libreboot の git リポジトリのコミット権は Rowe が一人で握っている
  • Rowe は自分一人の意見をプロジェクトの総意みたいに書いている
  • 意見を挟もうにも、Rowe が勝手にドンドンと先走っていて、あまりにも速くてついていけない

FSF の主張

"Free Software Foundation statement on 2016-09-16"で、

  • Rowe 氏からの離脱宣言メール(と思われるもの)に書いてあることは真実ではないと表明しています。
  • そして、(外部向けに公開されている場である) LibrePlanet のカンファレンスでは safe space policy を定めていること、
  • FSFのミッションは「すべてのコンピュータユーザのフリーダムを防衛することである」と述べ、
  • 職員との別れ*3が差別的意図であるとの指摘は事実無根である、と主張しています。

私の所見

FSF は、トランスジェンダーを職員に雇用してダイヴァーシティ*4を拡大しようとしたものの、職場の風習や、既存職員(端的にいえば上司)の中に、トランスジェンダーに偏見がありました、と。

それで、FSF という常勤職員の少ないちっちゃい職場では、通常(の大企業)ならば行うような配転もやれない。

既存の理事や職員の中にも、偏見を偏見だと自覚していない人々が少なくない。それで、ハラスメントをやるような職員をいきおい擁護しがちな、未熟な職場でもある*5

そうしてどうなるかというと、「このトランスジェンダー職員が辛抱していられないとなると、職場を維持するためにも、この職員が生きていくためにも、お別れせざるをえませんね」、ということになったわけでしょう。 だから、 FSF としては、差別的意図はありませんという強弁になるわけです。

けれども実態として、客観的事実としては、差別です。 正しくは、周囲の職員の方に、辛抱させて慣れさせ、教育していかないといけないのですから。

こういう事態になってしまうと、ハラスメント被害当事者はその職場に居られず、退職せざるをえない状態になります(あるいは首でもくくって死ぬとか、鬱で休職するとか)。で、泣き寝入りさせられるコースです。

私の所感

RMS の「Goodbyeメール」を読んでみると、物凄く冷たいんですよね。 既存の職員を擁護する側に立っているか、少なくとも職場を維持することを優先していますね。 あと、男の立場でやはり偏見をもっているんだろうな、少なくとも無自覚には偏見をもっている*6、と私には診られます。 つまり、悪気なく差別発言している何が悪いのかを判っていない)。

それと、前掲・FSF の "Free Software Foundation statement on 2016-09-16" の

The FSF's mission is to defend the freedom of all computer users

"all" ってニュアンスがですね、"every" じゃないんですよね。 これはうがった見方ではあるとも思いますが、このニュアンスはつまり、「みんな」であって、「あなたがたひとりひとり」ではないんですよね。全体を重視して、個人を軽視している、そんなニュアンスにも読めるんですよね。「みんな」ってそういう差別的、全体主義的語彙です。

他方の Rowe が libreboot.org で書いていることは、感情的で、取り乱しています。 なによりそもそも Rowe も、トランスジェンダー女性(MtF)当事者なんですよね。 だからまあ、 FSF が改まらないかぎり徹底的に闘うでしょうし、それにFSFRMS に対して Rowe はおそらく「怖い」という感情を抱いているはず

この事件、FSF としては、個別の案件として埋没すると期待していると思います。

しかしこの事件がそれなりに広まってくると、 FSF に寄付しなくなる人が増えてきたり、 GNU を使わない人も出てくるでしょう。 そうした影響がどの程度出てくるか、私には予想がつきません。

おりしもあちらでは、トランプというホモフォビア&トランスフォビアな人がプレジデントになりましたから、風は吹いているのでしょうかね。 けど、どちらに?

この事件、実にグダグダです。 本来ならば、辞めさせられた職員自身が訴え出て紛争にした方が、こじれずスッキリします。しかし、こういうセンシティブな事件って、訴え出てわざわざ傷を広げるようなことをする人って滅多にいません。労働事件って往々にしてそういう現実があります。

*1:「当事者」というのは用語の一種みたいなもので、ここでは「本人」くらいの意味です。

*2:ここでは、秘匿せずに公表してしまったって意味

*3:"separation"、つまり、退職か解雇かというニュアンスを意図的に外しています

*4:俗にいう「多様性」(不適当訳)。正しくは「相異性」

*5:GNUの一部であるデスクトップ環境の)GNOMEでやっている Outreachy プログラムと、 FSF とを比べてみると、 FSF が後れている印象が明らかに思えます。 cf. "Outreachy | Geek Feminism Wiki | Fandom powered by Wikia"

*6:Rowehttps://libreboot.org/why-not-gnu/ の #4 に書いていますが、"Cult of the Virgin of EMACS" というパロディネタも、元ネタがクリスチャン向けでしかない点でも筋が悪いのですが、客観的にみてセクシズム(性差別)にみえますよね。言い訳も的外れ "[gnome-women] For avoidance of misunderstandings"(RMS

フリーソフトウェアは、自己管理(己の面倒は自らみる)ってこと

今年も FSF が恒例の財源強化キャンペーンをしていて、寄付を募っています。 "A message from RMS: Support the Free Software Foundation"(FSF, 2016-12-29)

フリーソフトウェアは、対価の支払を強制せず、いずれにせよ対価払わなくたって使えます。 厳密に言えば、寄付すら「対価」ではありませんし。 であれば、コードを書く時間や労力をどこから出すのかということも課題ですし、時間を割いたら生活費はどうするのか、どうやって食っていくのでしょうか。 だから、カネを持っている者は寄付するということは重要です。そのソフトウェアを使っているのもどこぞのエンジニアということはよくありますが、それならば互いに寄付してでも、互いに食っていけるようにする共同体を確立することが重要だと思うのです。

さて、セルフコントロール、セルフマネジメント、言い換えれば自律ですが(自立でもありますが)、そのためにはソフトウェアにもフリーダムが必要なのです。

我々は、ソフトウェアの奴隷でもないし、ソフトウェアのデヴェロッパというものが特権階級になってもいけないのです。

たとえコードを書けない人であっても、それは個人的な能力の問題であって、身分の問題であってはなりません

ソフトウェアの制作が特権化して、特定の企業や集団だけにしか、ソフトウェアを改造するどころか、ときにはソースコードを見ることすらも不可能ということ、それがプロプライエタリです。

自分のハードウェアに何をやらせるかを決められないどころか、もしかするとバックドアがしかけられて自分を裏切っているということすらあります。実際にしばしば起こっていることなのです

ソフトウェアの制作が特定身分の特権だったら、ユーザがやれるのはせいぜい苦情の申し出か、そもそも買わない使わないか、それくらいしかありません。 自力で直せません。

オープンソース」でもダメです。ソースコードが見えるということは問題の本質を解決していません。 繰り返しますが、ソフトウェアの制作が特権であってはならないのです。

フリーソフトウェアというのは、ユーザが制作者にもなりうるのです。 納得がいかなければユーザ自身が書き換えて使えばいいわけです。バグリポートを出すかどうかということすら別の話で。

そして、いわゆるコピーレフトである必要があるのです。 いわゆるBSDやMITライセンスのようにパーミッシヴ(lax;ゆる)ライセンスでは足りません。 パーミッシヴライセンスでは、改変された派生物がプロプライエタリになりえます。 改変して、バイナリで交付して、中身は見せない。

実際に、Apple は、 FreeBSD を利用して MaciOS といったプロプライエタリ品に造り替えています。 そうして少なからぬ人が Apple を信仰して、 MaciPhone などに使用されています。 中身はわからないし、バグがあっても Apple の対応次第で、生殺与奪を握られています。時々、アップデートしたら壊れます。俗に「文鎮化」とかいわれています。桂文珍化なら笑えますけれどね。

Linux は GPLv2 のコピーレフトで、そこから派生した Android OS もフリーソフトウェアです。 ところがそれすらも、実際に販売されている Android 端末はプロプライエタリです。なかには root 権限もとれない機種が少なくありません。 Android OS がフリーソフトウェアであっても、端末メーカーは独自のハードウェアに独自のソフトウェアを組み込み、プロプライエタリ化してしまうのです。 そうして OS のアップデートすらもメーカーが配布するか否かに左右されています。だからいわゆる「バージョンのフラグメンテーション」、つまり、メジャーバージョンのアップグレードが不可能なまま取り残される端末が多発しているわけです*1

AppleFreeBSD を選択したのは、パーミッシヴライセンスの方が商売に都合が良かったからGoogleLinux を選択したのは、コピーレフトライセンスでも構わなかったからなのだといえるでしょう。

Linuxコピーレフトであるにもかかわらず、「オープンソース」をより強調するようになったのは、その方が運営資金やデヴェロッパ確保に有利だったからでしょうし、Linux デヴェロッパの中には、プロプライエタリ寄りの営利企業に雇われて食っている人が少なくありません。 だから Torvalds 氏も、「オープンソース企業」を善く言うでしょう。 LLVM Clang (パーミッシヴライセンスのコンパイラ)が普及し始めたときにも、まるで「選択肢があるのはいいことだ」というような感じの態度をとって、比較的好意的な態度をとりましたし。 かつて Linux に対して非協力的な NVIDIA に激怒してみせたときにも、それは「オープンソース企業」にとっても愉快なことであったわけです。 こうして、Linux デヴェロッパ達の社会的地位を保全しているんです。

GoogleFSF にも寄付をしているようですが、どんだけ本気なのかというと、疑わしいです。 それは、Chromium をパーミッシヴライセンスにすることで利用して、プロプライエタリGoogle Chrome を出すという商売をしていることからも判ります。 ただ GoogleApple と異なり、ソフトウェア本体を販売するよりも、販売するサービスを利用するプラットフォームとしてソフトウェアを頒布しているのです。

私はゆるキャラも好きではありませんが、ともあれ、ゆるライセンスではまだダメなんです。

*1:Android に比べると、iPhoneApple しか造っていないので、 Apple の判断で普遍的にアップグレードが提供されます。