解き放たれしソフトウェア

GNU/LinuxなどFLOSSについて書いてみるつもり

『Software Design』のUbuntuの連載に書かれている機械翻訳疑惑騒動の記事について

技評『Software Design』6月号の「Ubuntu Monthly Report 【86】Ubuntuの方針転換とWeb翻訳混入事件」の記事を見てエグいと思いましたので。 なぜならば、個人名は挙げていないとはいえ、公刊されている雑誌の記事に一方的に書いて晒しものにしているからで。公刊出版物に投稿する事実上の権力をもっている社会的強者が、一介の一般人である相手の出てこられないところで一方的に書く。それは、事情がどうあれ、物凄いイジメだと思いましたので。 記事自体では、相手の個人名を記載していないため特定不能なので名誉棄損等にはならないという考えでしょうが、それはウェブで検索すれば容易に判明してしまいます。たとえ犯罪ではなくとも、相手には一般人レベルの反論手段しかないがゆえに、物凄くアンフェアで、一言でいえばイジメですから。

前提

Ubuntuの翻訳もオープンソースソフトウェアの御多分に漏れず公募しているわけですが、Ubuntuでは翻訳成果物のライセンスがBSD-2だそうです。他方で、巷のウェブサービス機械翻訳でアウトプットされる成果物はこれと互換性のない異なるライセンスであることが多く、ライセンスにヴァイオレイトするものを採用するわけにはいかないわけです。

疑惑

Ubuntuの日本語翻訳チームのところに翻訳案をコミットし続けていた某氏が、採用されないコミットが多いことに業を煮やして、日本のではなくグローバルなメーリングリストの方に陳情をしたそうです。 これに対して日本語翻訳チームの側が反論して云々っていう流れです。 参考: Ubuntu英日翻訳にGoogle翻訳の成果物を突っ込む人物が現れライセンスがなんじゃもんじゃでつらい - Togetterまとめ

で、要は、Google翻訳の成果物をコミットしていたという疑義が発生したわけで。

Software Design』の当該記事の問題点

周知させたいのは、「ライセンス違反になるような『Web翻訳』の成果物をコミットしないでください」ということであるはずです。しかし、当該記事はそこから論点が概ね外れていて、どちらかというと、騒動の具体的な説明と、実名は挙げていないとは言え当該人物に対する非難。

個人的所感

Ubuntu の Japanese コミュニティ自体もどうかしていると私は思っていますよ、個人的感想。 例年のミーティングの際に大量の唐揚げを出して悪ふざけするところとかにしても。 (日経の雑誌の影響もあるでしょうが、)ユーザの人数が多いのに、権限や事実上の影響力をもっている人が少なく、入れ替わりも少なく、それなのになんか、主観や先入観をもった言動を、ウェブ上であれ、さらには雑誌上であれ、公開して憚りませんよね。

率直に言って、問題の根底には、フリーソフトウェアやライセンスのことが理解されておらず、多くの人は無関心でいる(ナイーブだ)ということです。 GNU/Linuxに関する雑誌は現在は(少なくとも、書店で並んでいる雑誌では)せいぜい『Software Design』と『日経Linux』くらいしかないわけですが、その日経が意図的に「フリーソフトウェア」を隠蔽して「フリーソフト」と書いています。 多くの人が「無料で、オープンソース」ということにしか意識をもっていません。 フリーソフトウェア思想とか、ライセンスのこととかは、関心をもつ以前にそもそも、知らないわけです。

Ubuntuフリーソフトウェアの「意識低い系」の典型みたいなもので、プロプライエタリ・ソフトウェアのリポジトリを提供していますし、フリーソフトウェアということの周知や啓発について非積極的な方です。

で、OSSとか言うんですが、そこで意図的にフリーソフトウェアを混ぜてFLOSSと言うことすらしない人々の意図はなんなのか。 そうしたことで寄ってくるユーザやコントリビュータはどういう人々なのでしょうか。 例えば、結果さえよければかまわなくって、慈善でこんなにコントリビュートしているんだから偉いのに、なんで評価されないのかってなる。

一般社会では概ね封建的で、生まれや身分によって権限をもてたり、成果があっても地位が与えられなかったりすることが多いです。(ちなみに、それで日本ではなく国外で活躍しようとする人もいますが、多くの国ではJapanese、Asian、肌がYellow、Non-Christianなどということで往々にして事実上の差別を受けます。) だから、OSSコミュニティにコントリビュートして評価されようとする、承認欲求を満たそうとする人々は、当然にかなり多いでしょう。 つまり、なぜわざわざコントリビュートするかって、動機があるはずなんですよね。

地位身分階級をもたない人が承認欲求を満たすためにコントリビュートしていくときには、その人に自己客観視(自己洞察)が足りなければ、結局のところ(社会生活で不利益を受けているのにも関わらず)権威主義に陥るという矛盾した歪みが出てきてしまうことがありえます。 そうして、権威権力をもつ人(プロジェクトの創始者とかメンテナとか)を礼賛したり、取り入ったりしようとすることもあるかもしれません。 (実際、OSS界隈だけではなくって、今の日本人の社会現象自体がそうですよね。差別されている当人が差別肯定して自分よりも下層の人間をつくって差別するっていう矛盾。)

本来は、フリーソフトウェアって、コミュニズムと親和性が高いし、自治で維持管理されていくものだと思います。ところが、そういう層がコントリビュートしているようには思えません。例えば日本共産党員がフリーソフトウェア界隈で活躍しているというところが、(本当は居るのかもしれませんけれど、少なくとも、)見えません。(本当は居るのかもしれないけれども、「私、共産党員です」「私、社民党支持者です」みたいに明言したら社会の大手通りから疎外されるようなのが日本ですから、言い出せないと思います。「角を立てない」ために黙っている人が多いと思います、変な社会です。)

むしろ実際には、OSSって、商業的、資本主義的に傾いてしまっています。それにそうしないと人もカネも集まらない。 いわば「悪魔に魂売った」みたいな感じです。

フリーソフト」(「無料ソフト」の類義)に釣られる層って、簡単に言えば、拝金的なのですよね。 そうして釣られて、実際とはズレた信念をもってしまった人が、ユーザになり、ときにはコントリビュートしていくわけですから、大変です。

フリーソフトウェアってこういうものなんですよ、って周知して人を集めた方が、寄付(献金)が集まるかはともかく、来る人に対してインフォームドコンセントが成り立って健全だと思うのですが。